あび猫本舗Topページ >小説 アピシニアン物語り >アビシニアン物語り裏話
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アビシニアン物語はお楽しみ頂けましたでしょうか?
アグーチの形質をもつ品種のアビシニアンは、1882年に公認された、品評会に登場す るネコではもっとも個性的な品種である。 縞模様のあるのは頭と足、尾に限られ、体の毛はアグーチである。
ハリソン・ウィアーもアビシニアンを「ロシアンかスパニッシュ」として記録しているように、 イギリスで最初のアビシニアンは、イギリスの軍隊のアビシニア(現エチオピア)への遠征の後 エジプトとの結びつきを明らかにすることに熱心なあまり、アビシニアンの模様は 育種家は初期のアビシニアンの足の縞模様を除いてしまったが、雑種のアビシニアンには 再び現れる。この品種のオリジナルなアグーチの模様はロシアに見られ、ハリソン・ウィ アーがアビシニアンを「ロシアン」と呼んだのには信憑性がある。 かもしれない。もっとも、アグーチは世界中に点在しているので、これはずっと初期の集 団の遺存形質である可能性もある。 エジプトでは、ネコの三分の一がマッカレルタビーで、スポッテドタビーの二倍いる。ネ コには縞と斑点の両方をもっているものも多いので、スポッテドタビーは縞が分断して斑 模様になったマッカレルの変わり者で、突然変異ということではなさそうである。
本を調べた結果イギリスのキャトショーに始めてデビューしたアビシニアンはイギリス軍人の
2 猫の毛色を決める遺伝の秘密 猫たちの世界旅行・ロジャーティバー 著より 原型となるネコはタビーである。 ただし、タビーという品種はいない。 遺伝子は目や毛の色、毛の長さなどのネコの特徴を決定するもので、対になっており、両 親のそれぞれから片方ずつ受け継がれる。 けれども、ネコの毛の色の遺伝の仕方は外見だけでわかるものではない。 タビーでは、縞模様の表れるアグーチという場所の毛一本一本には、それぞれ黄色の帯がある。 タビーのネコと黒ネコを交配すると、タビーしか生まれない。 どうしてか?黒ネコの遺伝子はなくなってしまったのだろうか? そうではなく、こうして生まれたタビーどうしを成獣になって交配すると、タビーのネコに 一般に毛の色は一方が優性で、もう一方が劣性になる。 タビーのアグーチ遺伝子は、非アグーチの遺伝子(この場合は黒だが、一様の、すなわち単一の
ロシアンブルーにしろ、スモークペルシアにしろ、どのようなネコの品種も遺伝的にはタ ビーであり、その形質を表す遺伝子をもっている。 単色のネコでさえ、そうは見えないけれども、実際にはタビーなのである。 遺伝子のタイプとしては三つあり、縞の幅のせまい野生型の「マッカレル」クビー、縞の幅の広いブロッチドタビー、
猫の毛色の遺伝の仕組み面白いですね。
けれども、皮肉なことに、エジプシャンマウはエジプトの街から連れてこられたのであり、 アビシニアンはエジプトの家猫のから毛色がアグーチの猫をイギリスで繁殖させたものと 猫は女神様!!
バステトは月だけでなく太陽の表情ももった女神である。 エジプト人にとっては、夜のネコを象徴する光を反射する目が、姿を消している間の太陽の光を ギザの有名なピラミッドは古代エジプトの王ファラオの太陽を象徴する墓であり、日の出 と日の入りに直接ラーに対面するようにつくられている。 アビドスはエジプトでもっとも古い墓地のひとつで、1921年から1922年に、フリンダー ペトリ卿がこの墓地を発掘したとき、ひとつの小さなピラミッドはその墓の太陽の象徴である 中央の部屋から17匹の猫の骸骨が見つかったまである。 これらのネコの死後の生活のためのミルクカ入っていたと考えられている捧げ物の壺が並んでいた。
猫は死後にミイラされていた!! 古代エジプトでは猫が死ぬとベニハッサンの基地にミイラにして葬られた。 その中のいくつかは、幸に19世紀後半にまで残っていて発見された後カイロ博物館に入った。 猫のミイラの一例(ガイヤール・ダレシ報告猫のミイラ)
B長さ二八センチ、幅七センチ。非常に若い猫。黄色い包帯が斜めに幾重にも巻いて青る。頭両側に布製 C長さ46センチ幅8センチ 外面の包帯は横向きであって長い褐色の幾枚もの布である。 頭部を巻いているリンネル布の上に赤と黒の線が目口毛の縞模様を描いている 布製の2本の小ラッパは立った耳を表現している (古代エジプト動物記 酒井 伝六 著より) 猫が死んだら大変だぁ!!
猫を死なせた者が裁判にかけられて、判決を受けるよりさきに、民衆は彼に向って突進し・乱暴する。 この神聖な動輪に対する迷信は深くエジプト人の魂の中に根をおろしており、この動物に対する献身は プトレマイオス・アウレテス(エジブト王プトレマイオス・アウレテス12世) まだローマに対して同盟していなかったころ、エジプト人はイタリアからの来訪者を歓迎することに熱心 そういう時代のあるとき、一人のローマ人が一匹の猫を死に至らしめた。 民衆は「殺戮」をおこなったそのローマ人の家に殺到した。 彼を助けようとしてエジプト王が派遣した治安官たちの努力も、ローマの威力が 呼びおこす一般的な恐れの念も、この男の命を助けることに役立たなかった。 彼の為したことは偶発的なことであったということが認められたにもかかわらず、であった。 これは風聞にもと.ついて私が書いてる事ではなくて、私白身がエジプト滞在中に目撃したことである。 エジプト人自身の経験する「猫の死」は自然死と事故死の場合たけであった。 自然死の場合・飼い主の家では家族全員が眉を剃って喪に服した。 事故死の場合、情状によって、飼主は祭司から量刑をいいわたされた。 飼主は自らの深刻な悲しみという刑のほかに、たとえば「こんご猫を飼ってはならぬ」という判決を受け 猫が死んだときには、鄭重にミイラとし、いったん居住地の墓地に安置したのち猫の天国であるプバスチスの 王家や財力ある貴族の猫の場合は.金や宝石で飾られ埋葬される。 中王国時代の猫の最大の墓地 べニ・ハッサンで30万体の猫のミイラが発見されたことをさきに見た読者は、 (古代エジプト動物記 酒井 伝六 著より) 猫好きの方も古代エジプトの猫崇拝にはきっと驚きますよね、それほどまでに大切にされてミイラになった猫達
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