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アビシニアン物語り裏話


1 アビシニアンの由来

2 猫の毛色を決める遺伝の秘密
 


3 家猫の祖先 エジプシャンマウ

4 古代エジプトの猫事情   

猫は女神様!!
                        
ネコのためのピラミッドもあった!!

               
猫は死後にミイラされていた!!

                       
猫が死んだら大変だぁ!!

アビシニアン物語はお楽しみ頂けましたでしょうか?
この小説の為に集めた面白い資料が数多くあり、私もヘェーそうだったのぉと驚く事が多々。
少しづつですが、皆様にもご披露致します。
猫好きな方ならきっと興味深い話だと思います。


1 アビシニアンの由来
    猫たちの世界旅行・ロジャーティバー 著より


(縞の無い猫・・・・全身アグーチのアビシニアン)

アグーチの形質をもつ品種のアビシニアンは、1882年に公認された、品評会に登場す

るネコではもっとも個性的な品種である。

縞模様のあるのは頭と足、尾に限られ、体の毛はアグーチである。

しかし、生まれはよくわからない。

アビシニアンとのハーフ猫は、

手足と尾に縞模様が出る事が

多いそうです。

1882年に公認された頃のアビ

シニアンに近いと言われていま

す。
アビシニアンとのハーフ猫
(こんぴら宮で撮影)
アビシニアン
(満満)

ハリソン・ウィアーもアビシニアンを「ロシアンかスパニッシュ」として記録しているように、

古代エジプトの王室のネコであるとい
主張ははっきりとした根拠があるわけではなく、

名前がそう思わせるのである。

イギリスで最初のアビシニアンは、イギリスの軍隊のアビシニア(現エチオピア)への遠征の後

1868年に指揮官のバレットーレナードが連れ帰ったものである

エジプトとの結びつきを明らかにすることに熱心なあまり、アビシニアンの模様は

ジャングルキャットに近いのに、北アフリカのリビアネコのものに似ていると力説する人もいる。

育種家は初期のアビシニアンの足の縞模様を除いてしまったが、雑種のアビシニアンには

再び現れる。この品種のオリジナルなアグーチの模様はロシアに見られ、ハリソン・ウィ

アーがアビシニアンを「ロシアン」と呼んだのには信憑性がある。

ただし、アグーチは主としてインドからシンガポールにかけて見られ、したがって東南アジアで突然変異したの

かもしれない。もっとも、アグーチは世界中に点在しているので、これはずっと初期の集

団の遺存形質である可能性もある。

エジプトでは、ネコの三分の一がマッカレルタビーで、スポッテドタビーの二倍いる。ネ

コには縞と斑点の両方をもっているものも多いので、スポッテドタビーは縞が分断して斑

模様になったマッカレルの変わり者で、突然変異ということではなさそうである。



本を調べた結果イギリスのキャトショーに始めてデビューしたアビシニアンはイギリス軍人の
バレットーレナードがエジプトのアレクサンドリアから連れ帰った「ズーラ」と言う猫
が起源と
されています。


2  猫の毛色を決める遺伝の秘密


すべての猫はタビー(縞模様)である?! ・・・・黒猫、白猫、アビシニアンはどうなの?

猫たちの世界旅行・ロジャーティバー 著より

原型となるネコはタビーである。

ただし、タビーという品種はいない。

ネコの体の模様は、突然変異がなかったならば、今でもすべて野生種の細い縞のタビーと

同じままであろう。

遺伝子は目や毛の色、毛の長さなどのネコの特徴を決定するもので、対になっており、両

親のそれぞれから片方ずつ受け継がれる。

これは染色体上にあり、ネックレスの一つ一つのビーズのようなものである。

体の特徴を決める遺伝子はそれぞれ、この「ネックレス」の決まった場所に配置され、

通常なら正確に複製されて子孫に伝えられる。

ところが、ごくまれに複製がほんの少しうまくいかず、突然変異した遺伝子を生じることがあり、

これは次の世代以降に受け継がれるのである。

突然変異すると奇形になることもあるし、望ましい変化が生まれることもある。

黒ネコからアンゴラまで、イエネコの毛の色や長さにいろいろなものがあるのは、突然変異として

生じたのである。

けれども、ネコの毛の色の遺伝の仕方は外見だけでわかるものではない。

タビーでは、縞模様の表れるアグーチという場所の毛一本一本には、それぞれ黄色の帯がある。

ただし、被毛のうち黒
-部分の毛には黄色の帯が表れない(非アグーチ)



黒猫と縞猫の仔は縞猫   猫たちの世界旅行・ロジャーティバー 著より

タビーのネコと黒ネコを交配すると、タビーしか生まれない。

どうしてか?黒ネコの遺伝子はなくなってしまったのだろうか?

そうではなく、こうして生まれたタビーどうしを成獣になって交配すると、タビーのネコに

まじって黒ネコが生まれてくるのである。

一般に毛の色は一方が優性で、もう一方が劣性になる。

タビーのアグーチ遺伝子は、非アグーチの遺伝子(この場合は黒だが、一様の、すなわち単一の

どの色でもそうである
)よりも優性である。結果として、対になった遺伝子のどちらにもアグーチを

受け継いだ子ネコはタビーになり、一方が優性アグーチ
、もう一方が劣性黒になった子ネコも

タビーになる。

対の遺伝子が二つとも黒を示すものである場合は、黒ネコになる。

大部分のネコの毛の色の遺伝は、他の色に対して優性という、こうした単純な方法で表現されるのである。

モグルの森に参加している、ご長寿猫のミューの生んだ仔猫は縞猫

はかりでした。

やっと謎がとけました。


20歳のご長寿猫 ミュー はこちらから

ロシアンブルーにしろ、スモークペルシアにしろ、どのようなネコの品種も遺伝的にはタ

ビーであり、その形質を表す遺伝子をもっている。

単色のネコでさえ、そうは見えないけれども、実際にはタビーなのである。

アグーチでない遺伝子をもったものは、タビーの模様の淡い部分が表に現れないというだけである。

光線のぐあいで、クビーの「かすかな模様」が見られる場合がある。

しかし、どういったタビーなのだろうか。

遺伝子のタイプとしては三つあり、縞の幅のせまい野生型の「マッカレル」クビー、縞の幅の広いブロッチドタビー、

アビシニアンである。


猫の毛色の遺伝の仕組み面白いですね。
これで仔猫の毛色の予想が出来ますね。


3 家猫の祖先 エジプシャンマウ


1968
年にアメリカ合衆国がエジプシャンマウ種に対して最初に血統書を公認した。

けれども、皮肉なことに、エジプシャンマウはエジプトの街から連れてこられたのであり、

数千年前の最初のイエネコの直系の子孫なのである。(猫たちの世界旅行より)


アビシニアンはエジプトの家猫のから毛色がアグーチの猫をイギリスで繁殖させたものと
言われているので、エジプシャンマウとは親戚関係でしょうか?


4 古代エジプトの猫事情

猫は女神様!!

エジプトでは、ネコは神として崇められていた。古代のエジプト人にとっての、

たくさんの神聖な生き物のなかにはライオンとネコが含まれておりネコは

1300
年以上にわたって国家の神としてたたえられていた。

このような信仰を集めた、ネコの仲間の姿をした神は受胎と豊饒の女神バステト

であり、最初は雌ライオンの姿をとって崇められていた。古代から、エジプト人

は砂漠の灼熱とライオンのこの上ない強さを結びつけていたのである。

ライオンの胴体をしたスフィンクスは太陽神ラーとホルスの象徴のひとつで、

毎日ナイル川の向こう側から昇る太陽を迎えるよう東を向いている。

ラーはふたつの表情をもち、不毛の暑さはライオンの顔をした女神

セクメトの鋭い目に表し、めぐみを与える温かさはバステトの穏やかな目に

表している。

崇拝が続いている間のバステトは、ずっと雌ライオンの顔でも登場し

続けていたが、イエネコが現れるとともに、ネコかネコの顔をもった女性の姿で、

ブロンズ像にされたり、彫刻されたりもし始めた。

バステトは月だけでなく太陽の表情ももった女神である。

エジプト人にとっては、夜のネコを象徴する光を反射する目が、姿を消している間の太陽の光を

保っていたのである。そして、毎晩太陽神であるラーの化身として、ネコは恐ろしい暗闇の悪魔

であるアポプと戦っていた。(猫たちの世界旅行より)




ネコのためのピラミッドもあった!!

ギザの有名なピラミッドは古代エジプトの王ファラオの太陽を象徴する墓であり、日の出

と日の入りに直接ラーに対面するようにつくられている。

アビドスはエジプトでもっとも古い墓地のひとつで、1921年から1922年に、フリンダー

ペトリ卿がこの墓地を発掘したとき、ひとつの小さなピラミッドはその墓の太陽の象徴である

猫のためにつくられたものであることが判った。

中央の部屋から17匹の猫の骸骨が見つかったまである。

これらのネコの死後の生活のためのミルクカ入っていたと考えられている捧げ物の壺が並んでいた。


猫は死後にミイラされていた!!

古代エジプトでは猫が死ぬとベニハッサンの基地にミイラにして葬られた。

その中のいくつかは、幸に19世紀後半にまで残っていて発見された後カイロ博物館に入った。

猫のミイラの一例(ガイヤール・ダレシ報告猫のミイラ)

@長さ三六センチ、幅八七ンチ。

包帯の色は黄色で斜めの方向で非常に厚く、幾重にも幾重にも、

巻いてある。頭部の飾りは消えている。

一般に、猫をミイラとするには、まず(ナトロン天然ソーダ)の水槽に

猫をつける。

ついで、樹脂にひたした包帯と布きれで猫をまき、外形を整える。

それから、包帯を幾垂にも幸いて頭まで包む.頭には鼻孔、口、眼を彩色

で描くこともある。

耳は.ゴム液につけた三角形の布で作った。

A長さ二五センチ、幅六センチ。頭の下まで包帯は厚く巻いてある。

頭には布製の二本の小ラツパ形

のものが立っており、直立した耳をあらわしている

B長さ二八センチ、幅七センチ。非常に若い猫。黄色い包帯が斜めに幾重にも巻いて青る。頭両側に布製

の直立する二つの耳がある

C長さ46センチ幅8センチ 外面の包帯は横向きであって長い褐色の幾枚もの布である。

頭部を巻いているリンネル布の上に赤と黒の線が目口毛の縞模様を描いている

布製の2本の小ラッパは立った耳を表現している

(古代エジプト動物記 酒井 伝六 著より)


猫が死んだら大変だぁ!!


猫に関しては事故であろうと悪意によってだろうと猫を死に至らせた者は、自らも死に迫いやられる。

猫を死なせた者が裁判にかけられて、判決を受けるよりさきに、民衆は彼に向って突進し・乱暴する。

この神聖な動輪に対する迷信は深くエジプト人の魂の中に根をおろしており、この動物に対する献身は

熱烈である。

プトレマイオス・アウレテス(エジブト王プトレマイオス・アウレテス12)

まだローマに対して同盟していなかったころ、エジプト人はイタリアからの来訪者を歓迎することに熱心

であり、ローマとの関係についての配慮から、ローマからの苦情や断絶をおこすおそれのあるできごとを

注意深く避けていた。

そういう時代のあるとき、一人のローマ人が一匹の猫を死に至らしめた。

民衆は「殺戮」をおこなったそのローマ人の家に殺到した。

彼を助けようとしてエジプト王が派遣した治安官たちの努力も、ローマの威力が

呼びおこす一般的な恐れの念も、この男の命を助けることに役立たなかった。

彼の為したことは偶発的なことであったということが認められたにもかかわらず、であった。

これは風聞にもと.ついて私が書いてる事ではなくて、私白身がエジプト滞在中に目撃したことである。

エジプト人自身の経験する「猫の死」は自然死と事故死の場合たけであった。

自然死の場合・飼い主の家では家族全員が眉を剃って喪に服した。

事故死の場合、情状によって、飼主は祭司から量刑をいいわたされた。

飼主は自らの深刻な悲しみという刑のほかに、たとえば「こんご猫を飼ってはならぬ」という判決を受け

るけるのであった。

猫が死んだときには、鄭重にミイラとし、いったん居住地の墓地に安置したのち猫の天国であるプバスチスの

墓地に移すのであった。

王家や財力ある貴族の猫の場合は.金や宝石で飾られ埋葬される。

中王国時代の猫の最大の墓地 べニ・ハッサンで30万体の猫のミイラが発見されたことをさきに見た読者は、

当然このブバスチスの猫の墓地の壮大さを想像するはずである。

(古代エジプト動物記 酒井 伝六 著より)

猫好きの方も古代エジプトの猫崇拝にはきっと驚きますよね、それほどまでに大切にされてミイラになった猫達
ですが、時が過ぎて1800年代には猫のミイラが燃料としてイギリスに売られてしまった事にはとても残念な気持ちがしました。








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